賞味期限切れのぱん

まじめなことを書く予定ではあります

初めて友人の結婚式に出席したら最高だったので、結婚式の役割について考えてみた

 こんにちは。

 2016年2月28日に友達の結婚式に出席して参りました。友人の結婚式は人生で初めてだったので大変緊張しました。しかし、そんな緊張が吹っ飛んでしまうぐらいに満たされた気持ちになりました。そのことについて書こうと思います。ちょっと内輪ネタっぽいところがありますがご了承ください。

結婚式をやる意味

 今回は僕が結婚をしたわけではないので、あくまでも外から見た結婚式の役割について考えてみたいと思います。
 僕は結婚式は親への礼儀、親族への挨拶として開かれるものという印象がありましたが、今回参加してそれだけではないなと感じました。

1.挨拶による人間関係の確認

 結婚式では挨拶が何度か行われます。そのなかでもとりわけ重要なのが友人挨拶です。もちろん会社の上司による挨拶も重要ですが、これに関してはほぼ選択権なく決まっています(もちろん人によると思います)。しかし友人挨拶は別です。これまで自分がプライベートで築いてきた人間関係の中から、自分にとって最も重要な人物にお願いする。大学の同期であったり、長い付き合いのある幼なじみであったり。自分を心から祝福してくれる友人を選び、その友人から想いのこもったメッセージを受け取る。そこに意味があります。
 熱いメッセージのこもったスピーチというものは一朝一夕には出来ません。結局は積み重ねてきた時間があるからこそ想いが伝わってくる。それに伝えたい想いがあるからこそ、たくさんの関係者が見ている緊張感のある場に立ってくれている。今回、僕は新郎新婦両名の友人のスピーチにとても感動してぼろぼろ泣いていました。それはスピーチの内容が素晴らしかったというのもありますが、新郎新婦を心から祝福していることがひしひしと伝わってきたからです。「こんな友人をもって幸せだな」とか、「結婚おめでとう」とか、そんな感情が湧いてきました。きれいに飾られた言葉ではなく、自分の言葉で自分の気持ちを伝える。結婚式は照れはなくストレートな気持ちをぶつけることができる珍しい場であると思います。そのような場で、「こんなに祝福してくれてありがとう」と思えること。そんな友人がいること。それが絆になり、つながっていくのだと思います。

 今回の式で友人挨拶を行った彼らと新郎新婦は本当に親友なんだなと感じましたし、あったかい気持ちにさせてくれました。もう号泣でした。

2.きちんと祝われてきちんともてなす

 強制的に参加させられていないかぎり、新郎新婦の結婚を心から祝福したい。そのために式を盛り上げたり、サプライズを用意したりする。友人挨拶も同じだと思います。
 今回、僕は新郎新婦が過去に関わってきた先輩や後輩からメッセージを集め、製本化してプレゼントするというサプライズを仲間と一緒に担当しました。それは何かをやりたい祝いたいという気持ちがあったからやったことで、一緒に手伝ってくれた友人たちも同じ気持ちであったと信じています。喜んでもらいたいからやる。ただそれだけの単純なことです。結婚式に出席した人は、何かしらのおめでとうを伝えるために式に出席しているのだと思います。
 では、新郎新婦が結婚式に友人を呼ぶ理由はなにか。礼儀といえばそれまでですが、祝われたいという気持ちだと思います。結婚するという人生にとって大きなイベントを友人たちから祝われたい、一緒にこの特別な時間を共有したい、という気持ちだと思います。多くの人に祝ってもらいたい。当然の気持ちだと思います。 大切なのは祝ってくれる人たちをもてなすという気持ちです。料理であったりプレゼントであったり、みんなに楽しんでもらうことを忘れないこと。祝ってくれてありがとうの気持ちを忘れないことだと思います。

 今回の式では、祝う側も祝われる側もとても満ち足りた表情をしており、催し物自体も互いを思いやるものになっていました。なによりサプライズを喜んでくれて本当に良かった。ありがとう。

3.二次会で見られる知らない関係性を知る

 二次会では披露宴とは異なり、はっちゃけた雰囲気になります。その時に新郎新婦の過去の関係が見えてきます。大学時代に知り合った仲であれば、それ以前の人間関係を知ることは出来ません。今と同じような関係を築いてきたのか、それとも異なる関係を築いてきたのか。それを肌で感じることができます。
 実際にイベントを通して関わっていく中で、自分のもてなし方とは大きく異なることが分かりました。いつもと違うノリでしたが、根底にある「おもしろくしたい」という気持ちは同じであるように感じました。そのためイベントも一緒に盛り上げることが出来ました。それが合うか合わないかは蓋を開けてみればわかりませんが、新郎新婦の立ち振る舞いからわかる自分の知らない友人との距離感を知り、新しい一面に気づくことができると思います。

結婚式は人を幸せにする?

 すると思います。というかします。しないといけない。
 結婚式は準備も大変ですが、式中もすごく大変。料理は食べられないし、ずっとマスコットのように写真とられるし、お色直しとかあるし。それだけ大変だとわかっていて、親への礼儀とか親族への挨拶とかだけで終わらせてはもったいない。それなら小規模の結婚式でいいし、わざわざ友人たちを呼ぶ必要もない。
 大きな会場でやる以上、多くの人から祝われて、多くの人をもてなして、最高の結婚式だったと言って帰ってもらわないと。そして幸せを振りまいて、「あー結婚式をあげたい」と思わせないと。素晴らしい式でみんなを幸せにしないと。それが最高の形だと思う。


そんな素晴らしい結婚式に参加した今の気持ち「あー、結婚したい。」

新書『日本に絶望している人のための政治入門(著:三浦瑠麗)』を読んだ感想

 こんにちは。

 今回は三浦瑠麗さんが執筆された『日本に絶望している人のための政治入門』を読みましたので、感じたことを書いていきたいと思います。書評と言えるものにはなっていません。そのため、タイトルにはそのような記載ではなく感想と記載しております。

日本に絶望している人のための政治入門 (文春新書)

日本に絶望している人のための政治入門 (文春新書)

手にとったきっかけ

 手にとったきっかけは三浦瑠麗さんが書かれているというところ、著書のタイトルからになります。

三浦瑠麗さんについて

 NHK Eテレにて1月1日の深夜に毎年放送されている「日本のジレンマ」という番組があります。

www.nhk.or.jp

 政治学、社会学、経済学などの専門家と最先端の技術者たちが集まり、与えられたテーマに議論するものです。自分の全く知らない分野からの発言があるため、知っている世界を少しでも広げたいと思い視聴しています。番組自体は昨年から見始め、今年で二回目の視聴となりました。今回読んだ著者である三浦瑠麗さんは、昨年と今年の両方に出演されており、冷静な切り口と説得力のある文言で場の議論に積極的に参加していました。今回の放送で三浦さんに興味がわき、著作を検索した結果、『日本に絶望している人のための政治入門』を見つけました。

『日本に絶望している人のための政治入門』について

 僕がこの本を手に取ろうと思ったのは、「もういい大人なのに政治も経済も歴史もよくわからん…」というちょっとした焦りからです。

 正直なことを申し上げると、政治や経済なんて人生であまり役立つことはないと敬遠してきました。だから理系を選んだし、大学に進学した後も国際情勢なども特に気にしてこなかったというのが本当のところです。でも実際には、政治と経済と歴史は密接にリンクしており、どれかがわからないと体系的に理解できないということに気付かされました。つまり、今まで部分的に知っていた国際情勢の一部も理解できていませんでした。

「なぜ靖国に参拝すると他国から批判されるのか」

「なぜフランスでのテロは起きたのか」

「なぜトランプ氏はイスラム教徒を忌み嫌うのか」

「なぜイスラム国はテロ行為を起こし続けるのか」

ニュースで報道される上記の内容の結果のみを受け取っており、その理由について考えてきませんでした。その本質を少しでも理解したいと思ったことが、勉強しなければという焦りになりました。

 そこで興味のあった三浦さんの著作を調べて見つかった、著書のタイトルにある政治入門という言葉を信じて、右も左も右翼も左翼もよくわかっていない僕が読もうと決意しました。

扱っているテーマ

 本書で扱われたテーマは、以下の4項目です。

  • イデオロギー、右翼、左翼

  • 日本の政治(安倍政権、野党)

  • 地方創生とジェンダー

  • 外交と諸国との関係からなる将来性

どれも現代社会において重要な課題となっている部分です。どれも勉強になりましたが、2章の他国における野党と日本の野党の差や、3章の地方創生が特に印象に残っています。この2つは大きく関連しており、その点について後で自分の考えを書いていきたいと思います。

感想

 「本書を手にとってよかった」というのが率直な感想です。

政治入門としてとても優秀

 冒頭でも述べたとおり、僕は右翼も左翼すらもちゃんと理解しているわけではありません。資本主義と共産主義という漠然とした知識があっただけです。そのような用語についてもしっかりと定義・説明しており、わからない人にもわかるための工夫がなされていました。忘れてしまった用語を拾うために、用語リストという形でまとまっているとより良かったとは思います。とは言うものの、数ワードで定義された言葉ではミスリードとなる可能性があるため、これはこれで良いのかもしれません。

 ワードを忘れてしまった時は、説明のあった章を読み返せばいいだけですので。このように言葉の定義について厳密さを求めていたところが好印象でした。当たり前のように使われている言葉を改めて考えていた。それが説得力とわかりやすさにつながっているように感じました。

複雑ながらも理解に配慮した構成

 また、政治とは経済と歴史が前提となっています。過去にあったことが現在につながっているので、至極当然のことです。つまりある一つの出来事、例えば靖国について述べようとすると、歴史的な過去と政治的な対応の両面について述べる必要がでてきます。そのため構成が複雑になってしまいますが、節で書かれている内容を理解していれば次の節が理解できる構成となっていました。

タイトルの「日本に絶望している」というワードについて

 これからどうなっていくのだろうという漠然とした不安と、このままではどうにもなっていかなさそうな国際情勢。本著はそのような人に向けて著者なりの解を示している。現在の問題点と目指すべき形、国際情勢における今後の展望など、ダメな点を指摘するだけではなく、腑に落ちる解を用意している。説得力のある仕上がりになっているのはこの点が大きいかもしれない。

 本を読んでいて感じたのは、このままではダメだということ。だからといって、これからがダメということではなくて、問題となっている課題を建前だけで解決する姿勢がダメな原因となっている。未来はまだまだ明るくなる可能性があって、その明るさを実現するために現実を見つめていこうと考えさせられる内容となっていた。

 あと、このワードを見た時に一番に思い出したのは、やはり『東のエデン』でした。あがりを決め込んだ大人たちと将来ある若者との対立。もちろんその一面もあるのだと思う。

二大政党と地方創生の鍵

 最後に自分が本著読んで感じた政党と地方創生について書く。

 本著では海外での政党が二極化している理由は、グループを一本の軸によって分けているからと説明されていた。イギリスでは「階級」であり、アメリカでは「人種」である。日本にはそれをわけるための軸がないため、二大政党制とはならずに巨大与党と数々の野党という構成になっている。そのため、投票の際は明確な支持政党があり、投票はある意味ではわかりやすい形で行われる。

 その一方で日本の投票はわかりにくい。圧倒的に差別化が足りておらず、どの政党も同じに映る。この政党はああいう政党で、あの政党はああいう政党。そういったものが欠けている。もちろんしっかりとした調査をしている人にとってはそのようなことはないが、大多数の日本人にとってはどの野党も同じに見えてしまう一面があるのではないかと思う。

 では、どのようなことを柱として掲げることで共感を得ることができるのか。共感できるということは、相手に発言の意味を大枠で理解し、その意見に納得できるということである。そこが選挙では重要なポイントとなるのでは無いかと思う。

柱の例

 柱の例として最初に思いついたのが「年齢」である。少子高齢化が顕著になってきていることは全国民が知っていることだが、具体的な対策ができていない。そのためのつけが若い世代に及ぶことが想定される。中でも年金と介護は、すでに始まっていると言える。そのため、基準となる年齢によって支払う金額を変え、40歳から65歳までを対象として税金を高くすることによって、若手の負担を軽減させようというものである。しかし、最終的には誰もがその年齢に達するため、先のことを考えると自分の負荷が増大するだけの政策となるため、全く意味のないものになってしまう。そのため「年齢」によって線引をすることは、柱としては不十分である。そもそも高齢者の割合が高いこの時代、このような政策では過半数がとれずに負けてしまうだろう。

 そこでは本著で扱われた「地方創生」はどうであろうか。橋本知事が功績を残しており、柱としての力は十分であるように思われる。地方での得票数はもちろん、中央に出てきている地方出身者からも票を獲得できるのではないかと思う。地元の元気が年々低下しているというのはみんなが感じていることであろうし、都市部に出る必要性が低下することにより地元にとどまろうとする人も増えるのではないかと思う。できることなら地元で働きたいという需要は、相当数あるのではないかと考えられる。しかし、その際に重要となるのが仕事の有無と給与の差である。その辺りを調整することで、著者が記しているように地方創生は可能なのではないか。

政治とか経済とか難しい

 この本からはとても多くのことを学ばせて頂きました。歴史と政治の関わりであり、それに伴う経済政策。中東の問題やヨーロッパの対応。

 重要なのは考えること。なぜを追求した先に、本質が有り、本質の先に明るい未来がある。そんな気がします。もう少し政治に対する感度を上げて、見聞きしたことを考えていきたいと思います。

日本に絶望している人のための政治入門 (文春新書)

日本に絶望している人のための政治入門 (文春新書)

レビューサイトは誰がつけたかもわからないような星による評価を廃止してくれ

 こんにちは。

 ふと本を買おうと思っていた際に見たAmazonのレビューから感じたことを書く。

なぜレビューを見るのか

 もちろん後悔したくないという気持ちが強いだろう。お金を払うときはもちろんだが、お金を払わない時も同様である。時間が浪費されるからというのもあるが、それ以上に胸糞悪くならないための自己防衛という意味合いが強いかもしれない。

お金を払うときほど後悔したくない

 お金を払う以上、自分が求めているものに同等の価値が有るかどうかはもちろん気になる。そりゃ後悔はしたくないし、できることならいいものに出会いたい。金額にもよるだろうが、金額が上がれば上がるほどその傾向は強くなる。一万円を超えるイヤホン、十万を超えるテレビ。百万を超える自動車。

 「買ってみたけどダメだった」

 そんなことは許されない。ものすごく後悔するから。だから低評価のレビューがついた商品を避ける傾向にあるのは至極当然なことである。

基準の違う星なんかになんの意味もない

 だからといって、基準の異なる星が与える負の印象はなんとかならないのだろうか。ものすごく丁寧にレビューされた★4と、おもしろくないという一行だけの★1は、数値上は同じ力を持っている。もちろん詳細に見比べれば価値が違うことは明確にわかる。しかし、商品紹介に出ている数字だけではわからない。

たまに見かけるクソレビュー(創作)

「青が欲しかったけど、黒しかなかった(´Д⊂グスン★2にします。」 「作者の意識の低さが伺える★1もつけたくない」

 いやいやいやいや…。言いたい気持ちもわからんでもないが、こんなので低評価がつけられるのはおかしい。自分が与えている影響というものを理解していないのか、嫌がらせでやっているのか。それはわからないが、こんなので星の数値が下がって売上に影響が出ているかと思うといたたまれない。そんなの意味もない数字だし、評価数が少ない商品にとっては大迷惑である。

何を持ってその評価をつけたのかだけが重要

 結局評価を見た人が知りたいのは、「この商品を買って損するかしないか」である。そこに星という概念は必要ない。星というフィルターは数値を意識させすぎる。  その人がなぜその本を手に取り、どういう内容を期待し、その結果がどうだったのか。それが必要な情報であり、誰がつけたかわからないような点数なんて意味が無い。

意味のあるレビューの例

 適当に考えた自分の中で意味があるレビューを考えてみた。 「経済に興味が出てきたため、予備知識がないところから勉強のためにこの本を手に取りました。タイトルには初心者でも大丈夫とありますが、専門用語が多すぎて初心者の私としては難しかったです。初心者というタイトルが付いている以上、用語については巻末でも良いので解説が付いていると良かったです。」

 ここで上がっている情報は、「この人がどういう人で」「本に期待していたこと」「不満のポイント」である。「経済がよくわからない人が」「経済を理解できることを期待したが」「専門用語が理解できなかった」という情報が詰まっている。同じ初心者というワードで買おうと思っていた人には有力なレビューであったといえる。

 このようなレビューには意味がある。だからこそ、レビューは自由記述ではなく一部形式的にしてもらうだけでだいぶ有意義なものになると思う。

数値レビューなんてあてにならない

 最終的な結論はここに行き着くわけだけど、少し正しくない。正しくは、「誰が書いたかわからないレビューなんて、どんな意図があって書いたかわからないし数字だけの評価では意味のあるものになりにくい」である。  インターネットの登場により、通販だけでなく、飲食店までが客に評価されていて、はっきりと言い切ってしまえば居心地が悪い。こんな誰がつけたかわからないような点数に翻弄されるなんてバカバカしい。それこそ全部実名にしてくれたほうがやりやすい。そのほうが、「点数」よりも「内容」に目がいきやすくなる。

 もちろん素晴らしいレビューもある。だからこそ、そういうレビューにもっと注目が集まるような設計にしていただきたい。

まとめ

 ほんとレビューの星はなんとかならないのか。5点満点で3点。それが高いのか低いのか普通なのか。それすらもわからない数字に意味なんて無い。それでも数値によるレビュー文化はこれからもずっと残っていくんだろうな…。

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

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